関所の修復履歴2
面番所の建替えは安政2年の陳列によって新規建替が判明しているし、嘉永7年の被災記録にも
「…面番所皆潰、御書院並勝手通極く大破…(中略)…面番所皆潰ニ附テ者瓦下地取片付、
棟木其外柱土台迄木品部品ニ仕其場所ニ差置御見分請可申哉、…」
とあるから、建物が取り片付けられているらしい。
町では現存建物周辺の発掘調査を実施しており、建物南側では現存建物軒部と同一位置で
雨落痕跡が確認され、建物北側においても旧町長室周辺から江戸時代の関所絵図と同じ配置となった
台所・勝手建物の礎石が発掘されたことにより、安政2年改築前後の建物は
ほぼ 同一位置であったことが確かめられている。
このように同一位置での建替されたことと礎石が2重になっていることは同じ時期に行われた可能性があり、
礎石が2重になったのは安政2年新規建替の時点の可能性が考えられよう。
なお、明治以降に修理された事実があるのかどうかまで十分確認しておらず、
あくまで推測の域をでないものであるが、安政2年新規建替と礎石を2重にするのは
同一時期の可能性のみ指摘しておきたい。
同心・下改勝手の床材 報告書に掲載される写真の中で同心・下改勝手の床面解体状況を撮影したものがある。
この写真には床板を支える根太・大引・床束が写っており、
中でも根太は直線的な角材ばかりでなく ホゾ穴のあいた角材や
切り込みのある角材が含まれている。
報告書でも「…大引、根太、床板、畳はすべて候補在で根太は転用材が多く…」と記述されている。
ここでは根太の中で2本確認できるホゾ穴のみえる材について注目する。
このホゾ穴の残る材は写真からではなんであるのかわからなかったが、近年の関所周辺の
発掘調査によって類似する木材が出土したのでふれておこう。
ホゾ穴のある材は平成17年度に関所の西側正門となる大御門の
柱堀立穴内から3本出土している。
材は幅14糎(cm)・高7糎(cm)の上部が3角の屋根状をなすもので、
短いものでも長174糎(cm)
長いもので長264糎(cm)もの材であった。
平坦面に長7・5糎(cm)、幅3糎(cm)、深4糎(cm)の長方形のホゾ穴が
12〜16糎(cm)おきに 残っている。
長さ1間〜1間半の材で、上部形状より関所周辺にめぐらされていた笹木土台付柵の笹木部分と 判明した。
3本ともクリを成形したもので、江戸時代に関所を修理した目論見帳なる古記録と材種・構造が一致する
木材であったことから、江戸時代のものであることは間違いないものである。
なお、報告書に掲載された写真から笹木土台付柵材の長さを推定してみると、写真奥側の柵材は、
1間半のものらしく、手前側は2間以上の材と思われる。
出土した笹木材と報告書のホゾ穴は同一のもののようであるが、大引けにのっていることから
ホゾのない面が平らであるとすると笹木材ではなくて笹木土台付柵の土台部分なのかもしれない。
いずれにしても笹木土台付柵の部分的な製品であることは間違いない。
この柵材が根太として転用された時期ははたしていつなのであろうか。
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