国指定特別史跡 新居関所

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関所の修復履歴

この修理は建屋の屋根をはがしてその下の建築材を取替補修・復旧したもので、 面盤所は
屋根葺替(野垂木・野地板の取替補修)・正面側土庇解体(礎石の据直し)・ 背面の廊下整備・建物の
傾斜是正が行われ、同心勝手と呼ばれる北西部分については その基礎にいたるまでの
全面的な解体修理が実施された。

その工事状況を記した「特別史跡新居関跡修理工事報告書」(以下、報告書という)が
昭和46年12月に刊行されており、図書館等でも閲覧できるようになっている。

この報告書には、関所建物のどこをどのように修理・変更したかが記載されているのだが、
建築に関する専門的な内容もあって中味を斜めにみた程度でしかなかった。

最近、関所のことを調べる過程で報告書をじっくり読む機会があり、その内容について2点ほど
気づいたことがあるのでここに紹介しておきたい。
建物礎石 1点目として建物基礎についてであるが、報告書には次のとおり記載される。

面番所基礎の修理前の状況として「…庇礎石は礎石が2重になっており、径55糎(cm)ぐらいの石をまず据え
その上に緑束石同様粘土と川石を混ぜた土厚約6糎(cm)前後の上に礎石が 据えてあった。
(中略)身舎柱礎石は庇礎石の状態から見て全部2重に礎石が据えてあると思われる。…」 とある。

また同心及び下改勝手については「柱基礎、縁束石は…、面番所同様に基礎は所々2段に なっておった。…」
と記載される。

この記述からみれば、柱をのせていた礎石の下部に礎石が埋まっていて、礎石間には粘土・川石など
意図的な土をいれていることから、礎石のかさ上げ・建物の建替ということを 意味していそうである。

しかも礎石位置が重複するということから、同一位置での礎石かさ上げということになる。

残念ながらこれらが施工された時期についてまでは報告書で言及されていない。
なお、報告書には礎石が2重となる写真が掲載されているものの、印刷の関係で確認しづらかった。
そこで新居関所資料館で解体修理工事写真を探してみたところ、以下の写真のとおり礎石が
2重になっているらしい様子を確認した。


 この写真はおそらく全面的に解体修理がなされた同心・下改勝手の
 礎石のようで、礎石据直しを目的に礎石をはずしたところの様子である。

 いくつかの礎石したにおいて埋没した礎石があらわになった状態である。

 この写真は報告書に未掲載なもので、下部の礎石が埋没保存されたのか 
 どうかもわからないが、礎石が2重になったことを示す重要な写真である。


さて、従来あった礎石上に基礎土をいれて新たに礎石を据え付ける場合、礎石上には柱等の
構築物がないということが前提になろう。

面番所では全体の様子まで不明ながら「全部2重に」礎石があるとすれば、全域に建築物がないかぎり
礎石の上積は不可能かと思われる。
そうすると、面番所建物が一時的になかった時期が礎石のかさ上げ次期となろう。

その可能性としては、嘉永7年(1854)11月の地震によって面番所が倒壊し、安政2年(1855)12月に
建替えらえるまでの一時的に建物のなかった時期があげられる。

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