国指定特別史跡 新居関所

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入り鉄砲に出女について知る

女と鉄砲の出入りは関所で厳重に調べた。

大名の妻が密かに帰国したり、密書を髪や服に隠していないか調べられた。

鉄砲は江戸に入って軍事活動が起る可能性がある為、長物の中身まで
徹底的に調べた。

入り鉄砲に出女と姫街道

関所を通過する際、婦人は特に煩わしく、関所の改め女に身のまわりを調べられた。

頭髪などをかきまわし、髪の中に秘密の手紙でも隠していないか、あるいは着物と肌身の間に
隠していないかなどと、時には裸にされて調べられたのである。
高貴の婦人は、この調査をたいへんに嫌った。

その上、新居関所のある場所が「今切」というから、縁組のために通る人は
「今、縁が切れる」などと、縁起を担いだものであった。

さらに今切れの海上一里を船で行くのは、遠州灘の荒波をうけるので、船嫌いの婦女は
新居関所から今切れの海上を通るのをとくに嫌ったのである。

この婦女の切実な要請に応じて開かれたのが本坂通りであった。
本坂通りというのは、浜松の東、安間から御油に至る街道で、気賀・三ケ日・嵩瀬(須瀬) などを経由する。

そのみちのりは40キロあまりまで、本坂峠を通るので、
その名があるが、婦人たちすなわち姫たちが
多く往来したので、姫街道ともいっている。

姫街道は短路ではあるが、新居関所を さけて通る本

街道の裏道であったから、 幕府はとくに重視して、
明和元年(1764)、 例幣使街道とともに、 道中奉行の
支配としたのである。

関所の取締に関する資料

関所手形書載すべき覚
仮令ば女上下何人の内

一 乗り物 何挺
一 禅尼  是はよき人の後室、または姉妹などの髪剃りたるを言ふ
一 尼   是は普通の女、髪剃りたるを言ふ
一 比丘尼 是は伊勢上人、善光寺上人などの弟子、又はよき人の召仕、其の外に熊野比丘尼等有り
一 髪切  是は髪の長短によらず、残らず揃切候ば髪切なり。煩ぬけ髪はへそろはず、少切候よう相見へ、
   又は中はさみ、出来物の上などはさみ候は髪切にてこれなき間、向後これを改めるに及ばず
一 少女  是は当歳より振袖の内少女たるべし、併し振袖の躰、不審これあらば、改むべし、
   但し女の内、尼かぶら髪切などは、これを改むるに及ばず
一 乱心  男女共
一 手負  男女共
一 囚人  男女共
一 首   男女共
一 死骸  男女共       

証文国分け看板に関する資料

婦女に限り、禅尼・尼・比丘尼・髪切・少女などに分類したのは、
詳しく 取り調べる必要上から起こったものである。
したがって、女手形の発行所は、ただ一箇所に限定していた。
これは『証文国分け看板』という、檜板の「長さ6尺5寸・幅1尺3寸5分、厚さ6分」の ものに記載して、
常時勤番所に掲げておいた掲示によって明白である。



一 江戸より上り女は、御留守居衆判形
一 駿河国より上り女は、駿河町奉行判形
一 禁中方より下り女は、所司代の判形
一 西国方より下り女は、所司代の判形
   所司代が江戸に在る中は京都町奉行判形
一 山城国中京都町より下り女は、京都町奉行判形
一 伏見町中より下り女は、伏見町奉行判形
一 近江丹波より下り女は、京都町奉行判形(七頁略)
一 志摩国より下り女は、稲垣摂津守判形
一 美濃国より下り女は、戸田伊勢守判形
一 若挟国より下り女は、所司代の判形(六頁略)右の通り判鑑を引合せ、相通すべきの事
一 伊勢参宮、仏詣、湯治、順礼の女、手形上下と文言入れず候とも、望み次第、
   或は五十日、七十日の日切、書替手形これを出すべきの事。(二頁略)右の通り、相改むべき者なり

   元禄十四年十月 日(東海道新居関所研究資料より)

鉄砲に関する手続きに関する資料



一 御名代 鉄砲御持たせ次第、但し家老の置手形にて通す
一 上 使 鉄砲数同じ、但し自分の置手形にて通す
一 ニ条大坂御番頭、御加番、御番衆 同じ
一 所々在役人衆  同じ
一 京都所司代、同町奉行 同じ
一 大坂御城代 御定番町奉行 同じ
一 伏見奉行、長崎奉行 同じ
一 伊勢山田奉行、奈良奉行 同じ
一 尾張中納言殿 鉄砲数弐拾五挺 家司の置手形にて通す
一 紀伊中納言殿 同じ
一 松平加賀守殿 参府の節、鉄砲五挺までの持参は予め御証文が有るから通れる
   右の通り先規より、御持来る為に候分、又は所々えの御目付衆、其の外公用にて
   罷り登され候時分、御番所置手形致され候はば、下りの節、その手形引合せ通すべきの事
一 下り鉄砲、古新とも置手形、之れなき分は、御老中の御証文を以てこれを相通すべし。
   但し御証文、年を越し候へば、相伺ふべき事
   (東海道新居関所研究資料)