関所に勤務した人々
関所属吉田領、後新居詰人数覚 ・久世出雲守の時
1、者頭2人 新居住宅 組足軽20人(小頭共に新居住)
1、町奉行1人 同 組同心10人 同前
1、同付1人 吉田交代より州日ずつ在番 支配下目付1人 交代
1.給人8人 6人は新居住、2人は吉田より交代州日ずつ在番
1、下改役6人 番所勝手足軽2人 右足軽の母2人 是は往還の女改なり
1、代官1人 同
1、賄役1人 同代官手代2人新居住
以上、都合57人、うち侍20人、足軽23人、町同心10人、手代2人、改女2人 ・牧野備前守同大学の時
(久世出雲守の時と大同小異のために略す)
1、医師2人 本道、外科 新居住宅
関所は57人によって運営されていた事となる。
これとともに関所西番の職掌別や人数を見ると、次のようである。
関所西番人数の覚 古来奉行時の節、以下の通り
1 与力弐人
1 同心六人
1 奉行の家来2人加番の為に、これを指出す
以上の通り相勤め来るの処、元禄9年、滝右衛門、与八郎奉行の節、増人仰せ付られ、
其の後は加番として、家来を指出す事、相止め、以下の如く勤番
1 与力 3人
1 同心 8人
久世出雲守の時は、以下の如し
1 者頭 1人
1 足軽 6人
1 給人 3人(此外足軽小頭1人 昼の内出勤)
1 下改役2人
牧野備前守、同大学守護の間も、先格の如く、西番勤の此の方、交代の後、 西番其の例に随ふ
(「東海道新居関所研究資料」) より抜粋